はじめの一歩

3・11東日本大震災・原発事故から5年

2016年3月13日

海に向かい手をあわせ、追悼の被災地の様子が報じられています。街の表情は変化しても大切な人を失い、地域のつながりを断たれた悲しみや苦しみがテレビ画面から伝わってきます。

警察庁によると10日現在の死者数は1万5894人。岩手、宮城、福島各県を中心に2561人が今も行方不明とのこと。避難者は全国でなお17万4471人。県外への避難は福島が43,139人。プレハブの仮設住宅で暮らす人は宮城が2万3678人、福島が1万8322人など計5万8218人にものぼります。

完成した災害公営住宅は1万4千戸あまり。計画の5割弱に止まっており、建設の遅れが依然として続いているという。

福島第1原発では、放射能汚染水が増加し、1日500トン規模の汚染水が新たに発生しています。5年が経つても、現在とけ落ちた核燃料状態を把握できておらず「収束」とはほど遠いといいます。

楢葉町等で政府は避難指示を解除したものの、ほとんどの住民が帰還できる状況にないとのこと。避難指示の解除と一体で、補償の打ち切りが進められているとのことです。

報道では、家族や財産を失いながら必死で立ち上がろうとする多くの被災者の方々の頑張る姿、若いかたがたが、ふるさとの復興の為に、都会からUターンして仲間と生きている、笑顔を取り戻し、頑張る姿もたくさん放映されています。

しかし生活再建が順調でない人も少なくありません。仮設住宅から災害公営住宅に申込んだけれども、被災したアパートが半壊のまま、現存しているから,条件を満たさないからと入居できないという報道もありました。被災後助け合おうとコミュニティーがつくられてきた仮設住宅の自治会も、住民が減り、自治会が成り立たなくなり、交流が減り寂しいという高齢者をテレビで見ると、被災地の仮設住宅に伺った時に、みんなで集まる場所をつくってここで話したりテレビを見たりみんなといることで救われると言って,笑顔だったみなさん方、どうしていらっしゃるだろうかと思い出されます。

巨大津波と原子力事故という世界の災害史上でも、前例のない複合的な大災害は、5年経っても、さまざまな形で被災者と被災地に大きな苦難をもたらしている。むしろ時が経つにつれ、避難生活の長期化等によって体調を崩したり、医療や介護など新たな問題が起っているのではと思います。

国は、被災者の願い,被災地の現状を正面から受け止め、寄添った支援を抜本的に強めるべきです。オスプレイを購入する予算を被災地に回せと言いたい。

私たち市議団は4月に福島に行く予定です。