はじめの一歩

兄と義母、二人の大切な人を追悼

2017年1月3日

CIMG1912昨年は5月に私の実家の兄が86歳で亡くなり、12月27日に夫の母が96歳で亡くなりました。夫の母は、私たち夫婦が共働きで下の娘を出産後8週間の産後休暇のあと、娘を個人宅に預け、そのあと認可外保育室にと預け先を変えざるを得なかったのをみて、娘が保育園に入れるまで家にきてみてくれました。

いつも、私が帰宅する頃になるとねんねこにおんぶして、外で待っているのが日課でした。保育園に入れた後も、土日になると「和子さんが大変だから」と度々手伝いにきてくれ、家事をしてくれました。義母はお裁縫が得意で着物の仕立てをする人ですが、娘が当時よく遊んでいたいくつものバービー人形に、それぞれ着せ変える和服を縫ってくれ、ままごと用のわた入れのお布団も何組もつくってくれ、着物もお布団も端切れを使うのですが、とてもきれいなのです。娘は本当に人形で1人遊びをよくしていました。大切な心を娘に宿してくれました.

ときどき蕎麦をうってくれ、子どもたちが一連のながれを楽しそうにかたわらでみていました。私ができないことをしてくれました。長女が小学1年生の時、夏休みに他の孫と一緒に岩手で1ヶ月も預かってくれました。風邪を引いて熱が出た時に、和子さんが心配するからと知らせず、後でその話を長女から聞きました。当時は、私が毎週土曜日も出勤で、早出、遅番のローテーションも早くて勤務もきつく、夫は夜遅くまで仕事で土日も出かけることが多くて、大変な中でしたから、どれだけ助けられたかしれません。その義母は最後まで、夫の病気を気にして「和子さんに苦労をかける」と心配していたと義兄にききました。私は夫の数珠を握りながら出棺を見送りました。

兄は、父が亡くなった後の父親がわりで、私が市会議員に立候補する時から応援してくれていました。短歌や詩を作り、よく送ってくれました。2011年の4期目の挑戦をする年の正月に「光あれ唯一筋に賭けし今 悔残すまじ愛し妹」と詠んでくれました。

12月30日に義母の告別式を終え、31日大晦日、議会中ずっとできなかった書類の整理、部屋のかたずけに何時間もかかりながら、でも、大切な人を偲び、自分の気持ちを整理し、1年を締めくくる大切な時間となりました。

私の仕事始めは1月3日.今日からです。議会報告を持って伺います。今年もよろしくお願いします。